2011年3月28日(月)
シンが永眠しました。
大地震の後、ストレスのせいか食欲が無くなり、日に日に弱り、
あっと言う間に逝ってしまった。
姉ゴが溺愛していて、私にはあまり懐かなかったがもっと可愛がってあげればと考えてしまう。
20年近く前、うどん屋の前で姉ゴの前に飛び出してきて、じ〜と見つめ合いうちの仔になったあの日。
飢え死に寸前のガリガリに痩せた仔猫だったシンキチ。
病院で検査をしたら、横っ腹には人間に蹴られたのか傷や打撲があり、うんちにゴミが混ざっていたので下剤を飲ませると、ビニール袋やらゴムやら…ゴミ溜めをあさって生き延びてきたことが見てとれた。
おまけに、栄養失調か怪我が原因かわからないが片目は白内障を患っていた。
そんな仔と20年近くも一緒に居られたのだから想い出もたくさんある。
マンピーがやってきたとき、ボスの風格が漂うマンピーに逸早くゴロリンとお腹を見せたシン。以来、兄弟のように仲良しだった二人。
シンの亡骸を見つめるマンピーが寂しそうだ。
突然だったけれど、頑張ったねシン。
のり君やビーちゃん、みんなのところに迷わずに行くんだよ。
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テレビがないと困るね
まさか自分が生きているうちにこんな大惨事が起ころうとは夢にも思わなかった。
津波被害、原発事故……どうなるのだろう日本。
当分テレビは消せない。
でも地震警報が鳴るたびにストレスが溜まっているような。
姉ゴは確実にストレスが溜まりげんなりしている。
猫達も心なしか元気がないみたい。特に後期高齢猫たち。医療費100%自己負担。
放射能だだ漏れ!?
3号機に上空から計4回にわたり放水。その後、地上からも放水するが、依然として現場の放射線量が高い数値を示している。
東日本大震災による損傷で大量の放射性物質の放出が懸念される福島第一原発3号機に対し、自衛隊は17日夜、冷却のための地上からの放水を行いました。
福島第一原発3号機に対し、自衛隊は17日午前の上空からの水の投下に続いて、17日夜、地上からも放水を行いました。自衛隊の消防車5台は午後5時半過ぎ、第一原発の前に集合、夜7時35分、地上からの放水を開始しました。
5台の高圧消防車は順次、放水が行い、午後8時過ぎには合わせて30トンの放水が終了しました。現場の隊員によると、5台全ての放水が燃料プールのある建屋に届いたということです。一方、警視庁の高圧放水車も午後7時過ぎ、一度、地上放水を行いましたが、現場の放射線量が高い数値を示していることから、活動を中断しました。
警視庁・自衛隊ともに17日夜の放水作業は終了、自衛隊は18日も朝から、上空及び陸上からの放水が共に行えるよう準備を行うとしています。
(引用:News i-TBS動画サイト)
今日も自宅で仕事。
外出せず。あ、一度出た!
地震の影響でトイレのモーターの音がブーーーンブーーーン大きな音がするようになったので、線を外したり挿したりしに外へ出た。
近所迷惑ですよー。あーどうしよ。
こんな時でもお仕事はするのです。
福島第一原子力発電所の1号機から煙が上がっている。
空からの放水を試みようとした自衛隊のヘリは、高濃度の放射能を測定したため引き返してきた。今日は為す術もなく。
今日も自宅で仕事。
オヤビンから別件のお仕事メールを確認せよと指令がきた。
以前させていただいたお仕事の延長なので、大体は把握できるがデザインや機能の部分で変更があるようなので、やっぱり打ち合わせは必要なのか?むーん、計画停電が実施されているなかで、何時に何処で会えばいいのだろうか?と思案していたがとりあえず電話をしてみた。打ち合わせは電話で済んだ。ありがたや。
今日も外出せず。そろそろ食料も底を尽きそうだ。
非常食用の飴を食べてしまった。このぶんだと毎日減っていくよな気がする。。。ムシャムシャ。
今回の大地震の名称は?
日本は1つの地震に対し、「地震名」と「震災名」の2通りがあるらしい。
今回の大地震の名称は、気象庁HPでは『東北地方太平洋沖地震』という名称を発表。
この地震によって起こった災害の名称が『東日本大震災』ということのようだ。
食料が消えた
な、無い!
自転車で郵便局に荷物を出しに行ったついでに、お店に買い物に行ったら食料品や飲み物の棚が空っぽ。
家の中ぐちゃぐちゃ
M8.8巨大地震。
東北地方で津波の被害が尋常じゃない。ありえない。
一夜明けて、まだまだ余震が続いている。
何度も余震があったのであまり眠れず。
昨日の地震で帰宅途中や外出中だった人達は何時間も歩いて家に帰ったり、電車の運転が再開するのを駅で待ったりと都心は帰宅難民で混沌としている。
私はというと幸いにもあの時間はまだ会社にいたので外で一夜を明かさずに済んだ。
ま、歩いて帰れる距離じゃないし。
電車の運転が徐々に再開されるも、いつになったら家に帰れるか分からない状態。
なので電車よりは早く着くだろうと、上司さまが車で送ってくださいました。4時間半くらいかかったけれど、電車と違って座っていられたので全然楽といえば楽だった。運転者には申し訳ないのですが。
帰宅後、家の中はというとやっぱりぐちゃぐちゃ状態。
猫達も怯えていたようで、一緒に居てあげられなくて申し訳なく思った。姉は猫達を抱えて二階に避難する際に足首を捻挫してしまった。
まだまだ余震が凄い。家の方が揺れが大きい。会社より東北に近いせいだろう。このへんは地盤も緩いし。家の前の道路を車が通っただけで震度2とか3とか案外冗談でもない。
余震がくるたびに何度も避難して疲れた。
片付けは明日からぼちぼち始めるとしようか。
大地震が!
この日は遅めの昼食を食べに出かけた先で地震にあった。
忘れないように記録しておくことにした。
上司さまの奢りで2時半頃に遅めのランチを食べに出た。
ハンバーグセットを注文。5〜6分くらいでジュージュー鉄板皿に乗せられたハンバーグくんが目の前に到着。
さーていただこうかとフォークとナイフを手に持った瞬間、ガタガタと揺れがきた。治まるまでフリーズしていると、治まるどころか段々と揺れが強くなってきた。客の一人が店のドアを開け顔だけ出して外の様子を窺っていた、その瞬間に揺れが激しくなったので、瞬時にハンバーグを一瞥して自分のコートとバックを持って走り出した。さっきの客がドアを塞いでいたが横から強引に脱出!上司さまや他の客も後に続いたようだった。
あまりにも強い激しい揺れだったので外には他のビルや店から出てきた人が沢山いた。目の前は交差点。さほど広い道路ではなかったので建物から離れるために、みんな道路の中央寄りに集まった。とび職姿のあんちゃんが大声で「建物から離れろー!道路の中央に集まれー!」と叫んでいた。自分も道路の中央に集まった。ちょうど坂の下辺りだったので上の方をぐるぐると見回していた。看板や電灯がブンブン横に揺れていた。凄い揺れだ。後から考えると、さながら映画のワンシーンのような画だった。21世紀○○みたいな。揺れが治まってバラバラと人が戻りはじめた。ハッと気がつくとタクシーの運ちゃんと目が合った。どうやら自分は交差点の真ん中で最後まで突っ立っていたようだ。急いでお店に戻り、上司さまと会社が心配だ!家に電話しなきゃ!などと会話を交わしつつもハンバーグをどうするかに至って、よし!とりあえず食べよう!と5〜6分で完食。急いで会社に戻った。
人間は忘れる動物なんだなぁ
最近のお仕事はコーディングが主流になっている。
だもんだから、たまにしかお絵かきソフトを使用しなくなった。
以前は目に映る物体がオブジェクト化されアンカーポイントだらけの幻覚までみるくらいイラレに取り憑かれていたはずなのに、今日頼まれてちょっぴり使ったら、使えてない!使い方忘れとる!!!
ハヒョ〜!こりはマズイだろう……。
いろいろなことを同時に出来ないよ〜!え〜ん。頑張れ自分!
ブログも滅多に投稿しなくなったじょ。いや……飽きたわけじゃないけども。